1982年から続けてきた微生物の基礎研究や医療機関における臨床を経て、独自の腸内フローラ移植(便移植)方法を開発しました。微生物たちとの共存共栄には、無限の可能性があると信じています。
シンバイオシス研究所 -微生物との共存共栄-
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社会不適合感と死にたい気持ち【腸内フローラ移植体験談5】

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腸内フローラ移植(糞便微生物移植)当日(1回目)【腸内フローラ移植体験談7】
(体験談1〜4は、記事下部からお読みいただけます)

留学から帰国後、母の会社を手伝う

帰国後、機会に恵まれて母の経営していた小さな会社を手伝うことになりました。
卒業後も含めて約二年半、ここでいろいろ勉強させてもらいました。不安定なわたしにやることを与えてくれて、ありがたかったなと思います。

文章を書くことをライフワークにしたいと思ったのも、この頃です。
いい大学出ても、いい人生なんて待ってないじゃないか、うそつき。と、社会に対して思っていた気がします。

組織的なものに属した公務員時代

自分にとって大切な読書、そして書くことを守るために、「平日は安定した大きな組織で働きたい」と思うようになりました。ビジネスの「カネ第一主義」みたいなものにかなり疲れていたので、行政を選びました。

やる気満々で意気揚々と働き始めたのですが、ここでも「完璧主義」「優等生」という枠に縛られ、息がつまり、勝手に自分を追い込んで早くも6月にダウン。

生まれて初めて心療内科に行きました。
環境にうまく適応できないことによる抑うつ状態でした。
「まだうつ病ではないよ」と先生に言われた時、喜べばいいのか、病気でもないのにしんどがる自分を情けなく思えばいいのか、複雑な心境になったことを覚えています。

会社にも迷惑かけるしもう辞めよう、と思ったのですが、その時の配属先がとても良い人たちばかりで、一度は退職を決めたものの何とか戻してもらえました。

ただ、マイペースだったり、過度に集中したり、ひとつの刺激に対して多くの情報を受け取りすぎてしまう自分にとって、大きな会社組織はストレスが大きすぎました。
「決められた場所で決められた時に決められたことをする」というのも苦痛で仕方なかったです。納得のいかないことをするのにも、いちいち疑問を持ちそうになる自分を必死でこらえました。

そして12月。自律神経をこじらせ体調がおかしくなり、二度目の休職。
この時に「3月でやめよう」と決めました。優秀で優しい上司にたくさんのことを教えてもらい、やめるにも関わらず大好きになってしまい、3月は何度泣いたかわかりません。

しばらくのんびり、それから再び母の会社に

のんびり

公務員時代はとにかく余裕がなく、好きな小説に触れる時間もあまり持てなかったので、辞めてからしばらくは小説をたくさん書いたり、読んだりしました。

最初のほうは楽しかったですが、だんだんと「自由」を持て余すようになってきました。
考える時間が増え、憂鬱な状態は前ほどではありませんが相変わらず定期的に訪れました。

毎日必死で体に鞭打って生きていたのが、突然何もすることがなくなったのです。環境の大きな変化に体も心もびっくりしたのかもしれません。
ひとりで岩盤浴、カラオケ、ハイキングに行くのも悪くないな、でもずっとひとりもちょっと寂しいな、と思いました。

うつはゆっくり、ちょっとずつ治るから焦らなくていい。
そう思いながらも、仕事を辞めたのに精神状態も体力もなかなか回復しない自分をとてももどかしく感じていました。

そもそもこれは病気なのか? 
わたしがそう思いたいだけではないのか? 
その思いはずっと脳裏にこびりついていて、存在しているだけで罪悪感を感じていました。

ふさぎ込んでいるだけならまだよかったかも知れないのですが、わたしの悪いところは、しばしば暴れたということです。
きっかけは何でもいいんです。家族の些細な行動にけちをつけて、だんだん自分がなぜ怒っているのかもわからなくて、とにかく子どものように泣きわめいていました。

優しくしてもらえるのがわかっていたからでしょう。わざとじゃないんですが、本当に突発的に、例えば家族で外食に行く直前とかに癇癪をおこして雰囲気をぶち壊したりしていました。

その時は体の血が沸騰する感じでまともに思考できていないので、こうしてあとから冷静に分析していると変な感じです。

「どうして怒っているの?」

「何がそんなに不安なの?」

「なんで今じゃないとあかんの?」

そう言われても、うまく答えることができません。特定の対象に腹を立てているというよりも、寂しさや不安や自己否定の感情が体の中に収まりきらなくなると、そういうふうに爆発させていたみたいです。

村上春樹氏の言葉に、こんな言葉があります。

「女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいからから怒っているのだ」『遠い太鼓』村上春樹
これは『遠い太鼓』というエッセイに書かれています。とても面白い本なので、よろしければ読んでみてください。

つまり、女性には生理というものがあって、多かれ少なかれ感情の波はあります。
でもわたしの場合、そうやって笑って見過ごせるほどの程度を大幅に超えて、怒りや悲しみの感情に捕らわれていました。

手持ちぶさたな時は、母の会社のアルバイトをすることもありました。
でも、たとえアルバイトであっても「いちおう、ほんの少しは社会の役に立っている」と思える要素があることは、わたしにとって救いでした。そもそも「役に立っている」という感情はすべて自己満足に過ぎない、というツッコミはご勘弁ください。

もう会社員なんてぜったいに一生無理だ、と思っていたので、時間が自由になる仕事しかできません。
この「ぜったいに一生」というのは、この頃のわたしがいつも感じていたことでもあります。

母は「なにごとも一生は続かない」という言葉をよくかけてくれました。
でもそのときのわたしは、ものごとを悪い方に一般化し、それがずっと続くのだと思い込んでいました。

たとえば、なにか一つうまくいかないことがあると(朝起きられへんとか)、
「ほら、やっぱりわたしはなにひとつまともにできへん。もう一生このままなんや」と思い込みます。そして暴れる。
仮に将来変わることがあったとしても、そんな時を悠長に待っていられるような余裕はなく、今のつらさから逃れたい一心でした。

会社を辞めるときに、先生の許可をもらって病院通いを止め、薬も止めていました。だから、もう薬には戻りたくなかった。

一度だけ、薬をできるだけ使わない方針の病院に行ったことがあります。
二ヶ月待ちでやっと行き、自分は躁鬱病ではないかと相談したところ、「大人の発達障害の可能性がある」と言われました。
でも日常生活は送れるから、自分の得意と不得意を意識して生きていきましょうというお言葉だけいただき、終わりました。

発達障害? グレーゾーン? どうしたらいいん? 
この診断も、一人の医師の判断でしかないわけやから、確実とは言われへん。真実はどこにあるん?
もう病院に答えを求めるのは自分には向いてないと思いました。

何かを食べているときだけは頭が休まり、落ち着きました。
家に引きこもってこんな生活を続けていたので、一年半で15キロも太ってしまいました。

もう、何かに向けて努力するには疲れすぎていました。
死ねない中途半端な自分と、大好きな家族と、情けなさ。
ある日突然、地球に隕石が落ちてくることだけを祈る日々でした。

もちろん、気分のいい日もあります。優しくできたり、感謝できたり。
ただ、そうでない日のしんどさが耐えられないものになりつつありました。

腸内フローラ移植体験談(便微生物移植)
大阪の小さな研究機関「シンバイオシス研究所」のスタッフちひろです。
わたしが人生を楽しめなくなり、腸内フローラ移植をしたお話を、過去の話も交えてお伝えしています。今回は、社会に出てからうまくサラリーマンができなかったお話です。

《これまでのお話》
ご挨拶と自己紹介【腸内フローラ移植体験談1】
アトピーと負けず嫌いが共生していた幼少期【腸内フローラ移植体験談2】
とにかく突き進んでいた努力家の思春期【腸内フローラ移植体験談3】
食べものが合わずスウェーデン留学でうつに【腸内フローラ移植体験談4】

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うつ状態で出会った腸内フローラ【腸内フローラ移植移植体験談6】

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自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。 でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。 いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。 ご挨拶と自己紹介も併せてご覧ください。
腸内フローラ移植(便微生物移植)を知っていますか?
わたしたちの腸に暮らす腸内細菌たちと健康との関連が、世界中で次々に明らかになってきています。 「すべての病気は腸から始まる」と言われるように、腸内環境が崩れると病気を引き起こすことが知られています。
健康な人の腸内フローラを移植することで、ふたたび健康を取り戻そうという治療法に期待が高まっています。
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