月を眺めることで見つける孤独と、癒される孤独

お盆最終日です。
親戚でお経をあげたり、お墓参りに行ったり、久々に会うかつてのバイト仲間たちと飲み会をしたり。
そんな普通のお盆を過ごしました。
ご先祖様に感謝して、今もつながってくれている仲間たちに感謝して、自分がこうして健康に生きていることに感謝して。
そんなふうに途中までは思えてたんですけど、ふと、むしょうに寂しくなって悲しい気持ちになりました。
今日は、幸福な日常の合間にふと訪れる、いかんともしがたい寂しさややるせなさについて、ほとんど無益とも言える文章を綴ります。
何が言いたいのかわからん文章。
「あー、お盆終わるなー。しんみりやなー」ってときに読んだほうがいいかもしれんし、逆にそういうときに読むとうざいかもしれん。
(ほんますいません)
一緒に孤独に浸りたい方、ウイスキーのオンザロックでも片手にわたしと縁側に座って月でも見上げましょうよ。
(わたしは飲むヨーグルト片手でもいいですか。)

お盆、少し調子を崩してました。
心身ともに。
たぶん、排卵日前後で女性ホルモンバランスが崩れて、調子を崩してただけやと思う。
エストロゲンとか、プロゲステロンとか。そういう系。
あと、ついこの間まで引きこもりやったのに、この数ヶ月爆走しすぎたんかもしれん。
でも、やっぱり心がぶらぶら揺れるのって、ホルモンとか腸内フローラだけの影響じゃないと思ってて、
わたしたちの脳や、脳によって作られる意識のかたまりみたいなものとは別の、「たましい的なもの」ってあると思ってて、
たまにそういうのが存在をアピールするために出てくるんやと思う。
例えば、月を眺めることで感じる孤独。

わたしという一時的な生命体が、その両目という組織を通じて月という被写体を捉えて、それが脳に伝わって、情報を処理している。
ただそんだけのことなんやけど、たまに月を見上げてると、ほろっと泣いてしまったりすることがある。
日によって違う月の形、遠くに聞こえるトラックの走る音、規則正しく並ぶ通りの街灯。
それらのあいだに入り込んでくる、とりとめもない思念。
そういうときに、なんか泣くことがある。理由もなく。
一人の人間って、本質的にはめちゃくちゃ孤独やんなーとか、
でも素粒子ぐらいミクロ、もしくは宇宙規模のマクロで見たら、取るに足らない悩みやなーとか、
取るに足らないただの意識やのに、なんでこんなにきゅーってなるんやろとか、
わたしがわたしになる前も、死んでからもずっと、月はおんなじように存在し続けるんやなーとか。
そういう類の気持ちが、身体一個に収まらんぐらいあふれる。
だんだん日が短くなる夏の夕暮れに聞こえるクマゼミの鳴き声とか、しとしとと雨が降る土曜日の朝とかも同様の効果を発揮することがある。
感傷に浸りたいポエマーな自分がいることは置いといて、
そういうときって、めっちゃ自分のこと嫌になるし、寂しくなる。
でも同時に、孤独と向き合い続けることで孤独がじわじわと癒やされていく感覚もある。
孤独感ってたぶん、こうやって定期的に表に出して、丸洗いして天日干ししてあげなあかんのちゃうかな。
めんどくさいし、しんどいけど、そうされることを求めている気がする。

で、一人で月を見上げたりしてるときって、ずっと見てるとだんだん「誰か」の存在を感じるようになってくる。
「誰かも今、この月見上げてるんかな」とか。
めっちゃ陳腐!!! 恥ずかしい!!!!!!!!
「誰かもクマゼミの鳴き声聞いてるんかな」
「誰かも屋根に当たる雨の音聞いてるんかな」
そういう感じ。
そうすると、だんだん「ひとりじゃないんや」って気持ちになってきたりする。
ずっと寂しいままのこともあるんですけどね。
こういうふうに思うのって、わたしだけじゃないはずなんです。
だって、わたしという人間がそんなにオリジナリティあふれる人間なわけはないから。
70億もいる人間の中で、わたしだけがそんな考え方やとしたら、たぶんわたし友だちとかいてないと思うし。
だから、このブログでこんなふうによくわからん胸の内とか書いたりするのは、「ひとりじゃないで」って伝えたいから。
自分のうつ時代の体験を公開するとか、よう考えたら恥ずかしいけど、
でもわたしは「みんないろいろあっても頑張って笑顔で生きている。わたしだけが意気地なしのアカンタレや」って思ってたので、ここでは思いっきりアカンタレを丸出しにしています。
そのことでもし、万が一誰かが「よかった。こんなふうに感じるのは私ひとりじゃないんや。てゆうか、私のほうがマシやんww」とか思ってくれたら、わたしとしても大変うれしいわけです。
だってそれって、「わたしもひとりじゃない」ってことの証明なわけやし。
何かの本で読んだことがあります。
[su_quote]孤独は愛の反対側にあるのではなく、愛の補完である[/su_quote]
孤独を感じる人は愛情あふれる人であり、愛を感じるためには孤独を知っていなければならない、ということでもあります。
さみしくて、不安で、もうどうしようもなくなったとき。
無理に笑ったり、忙しくしてみたりするだけでは、なだめられないとき。
月を眺めてください。
たぶんわたしも、眺めていますので。(月のヘビーユーザーです)
おわり。
この記事を書いた人

- 研究員・広報(菌作家)
-
自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。
でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。
目に見えないものたちの力を感じる日々です。
いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。
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