腸内細菌が医療の常識を変えるのはいつなのか

腸内細菌をはじめとした微生物たちがこれほど話題にのぼっているのは、なんと言っても次世代シーケンサーの登場のおかげにほかならないでしょう。

ヒトというのは、「さっぱりわからない」ものに対して語ることはできないので、遺伝子解析によって「ちょっとわかる」ようになった微生物に対して、なんとか我々の存在との関連性の法則を見つけ出そうと一生懸命になっています。

腸内細菌はこれからの医療を変える! とか言われてもてはやされていますが、残念ながらそう簡単に事は運びません。

なぜなら、腸内細菌を理解し手を貸してもらうための言語をわたしたちが理解できないから。つまり医療の「ハコ」が古すぎるからです。

腸内細菌は既存医療の評価軸に合わない

時間が不可逆的な一本線だという立場に立てば、かつて人類は微生物と話ができていた時期があるように思われます。
ただ、今のわたしたちにはもう無理です。
次にそんなチャンスが訪れるとすれば、わたしたちの大半が死に絶え、遺伝子が書き換わってからでしょう。

一方で、目に見えないものに対して人間たちが医学として意識を向け始めていることは歓迎すべきことではないかと思います。
領域的には理論物理の分野に突入しているんではないでしょうか。

宇宙に関するマクロな視点(一般相対性理論)に加えて、量子力学的なミクロな視点があるわけですが、これら二つの視点で現在一定の合意を得ている理論は互いに矛盾することがわかっています。

人類が今以上に深くものごとを知ろうと思えば、縦割り的な学問ではもう対応できないでしょう。

と、最近ホーキング博士の映画と著書にもろに影響を受けているんですが、物理学は哲学に近く、小説にも近い。
資本主義の手の届く学問に比べ、深層にあるものごとである気がするんですね。

で、微生物はそこにいるんじゃないかと思ったりするんです。

つまり、わたしたちの構築してきた医療が持っているカード(常識)の軸では、微生物の働きを判断したり活用したりすることは出来ないんだと思うわけ。

「判断」や「活用」なんて言っている時点で全然だめなんですが、未だこの世の中では「善玉菌」「デブ菌」「長寿菌」をヨイショする動きが絶えません。

普通に性格悪くて利己的にヤセ菌を取り入れようとしているならまだしも、腸内細菌に優しくしましょう的なニュアンスで善玉菌とか仰せになっているのを見ると、人類は永遠に苦しみから解放されへんわとか思えてくる。

霊が見えなくなったヒト

霊長類っていいますよね。ヒトとか猿のこと。
これ「万物の首長」って意味らしいです。
ネーミングの中二病感がすごい。

人間って、ほんまにそんな高等なん?
まともな人たちはわかってくれると信じてるけど、あらゆる生命の中でヒトのランクってかなり下やと思いません?

まずその認識から始めるべきやと思いません?

その発端となったのは、科学という宗教の布教だと思っています。
なぜいきなりブログがこんなに強いメッセージ発信になっているのか、ちょっと不快に思われる方もおられるかもしれません。それはすいません。

ただヒトが絶滅する前に(もう手遅れなんで残念ながら近く絶滅はします)、多少なりとも反省してもいいんではないかなと思い、こういった内容もお伝えしていくことにしました。

無難で誰も傷つけず、寛容で面白おかしい内容のコンテンツが重宝される時代ですが、それって誰も責任を取らない社会を作ったマインドを受け継いでいるだけですよね。

昔のことは本当にはわかりませんが、かつてのヒトは霊が見えていたといいます。
自然の恩恵も脅威ももっと身近にあり、隣の村で遠い親戚が死んだ瞬間がわかったといいます。
そういえば今年死んだわたしのラブリーなおじいちゃんも、親友が死ぬ前に挨拶に来たって言ってた。
うらやましいなあ。

例えば、霊が見えること。

それは科学的に証明することができないことのひとつです。
でも科学的に証明されないという理由だけで、本当に昔からの知恵や勘を否定してしまっていいのでしょうか?

科学はわかりやすく、とっつきやすいです。
勘の鈍い人でも、想像力のない人でも、目の前に明らかな数値の違い(有意差!)として出てくれば、安心して納得することができます。

だから、彼らの主張はこうなります。
「科学的に証明できないことは、真実ではないんだ」

ほんとうに?
科学で証明できることに限界があることは、一部の人たちはもう気づき始めているんじゃないでしょうか?

特に医療の世界では、科学は確率論として、主に医療提供側が盾としてリスクヘッジのために使われていることが多々あるように思います。

そして患者のほうも、自分がなぜ病気になったのかを理解せず、そして自分でそれを克服しようともせず、お金さえ払えば医者が治してくれると思っている人のなんと多いこと。

わたしは健康体に産んでもらったからこんなことが言えるのでしょうけど、正直、この共依存的関係に相当うんざりしています。
(不眠のため先日睡眠外来に行ったら、ものすごくニコニコ顔の目が笑っていない先生に抗うつ剤出されて終わった。でもお医者さんが悪いわけではない。この構造。)

腸内細菌は医療業界ではなく、カメラマンや画家、小説家たちに迎え入れられるべきだったのかもしれません。

腸内細菌たちがごく小さなエビデンスや、ビッグデータ的ビジネスに弄ばれ取り込まれていくのを見ると、ものすごく悲しくなります。

きっと彼らは飄々として華麗に世代交代しているので、わたしが勝手に思っているだけですが。

遺伝子を捨て、新しい器が生まれるとき

さて、ここまで愚痴っぽくなってしまいましたが、希望はあります。
それは、ヒト側の古いシステムと古い遺伝情報が刷新されること。

ヒトの遺伝子が進化するには菌に比べて相当な時間がかかりますが、実はこのところヒトの進化のスピードが早まっているという情報があります。

簡潔に言うと、「観察と発見」ベースの進化から「予測と修正」ベースの進化にシフトしていることが主な要因です。
プログラミングの開発工程なんかに如実にあらわれています。(ところでエンジニアの人ってすごいですよね。)

シアノバクテリアが光合成によって地球に酸素をもたらしてくれてから何十億年。
生命は遺伝子という設計図を携えて、増殖し、命をつないできました。

その中には超豪邸の遺伝子設計図もあれば、複数の細胞で集まってひとつのマンション的生命にすることで進化してきたものもあります。

実は面白いことに、生命の進化の過程ではある段階をもって「新しい遺伝子」はつくられなくなったそうです。
ヒトとチンパンジーのように「似た」配列は出来ても、まったく新しいものは生まれなくなった。

これが意味するところはなんでしょうか?

実はこれ、今の人間社会が直面している構造とかなり似ています。
つまり「新しいもの」ではなく、「既存のものの組み合わせ」でほとんどあらゆることができるようになった。

ここには生命同士の共存共栄がベースにあります。
ヒトは、腸内細菌やその他の生命の力を借りることで、不要な遺伝子を捨て去り、そのことで進化のスピードを早めた。
そういうふうには考えられないでしょうか?

今、ヒトは一旦絶滅する方へ向かい、新しいヒトが生まれつつあるという考え方があります。
新しい彼らは既存社会にはなじめないので、古い器で生きてきた人たちからは「病気」や「障害」のレッテルを貼られることがあります。

でも、ほんとうの意味で腸内細菌たちがヒトに力を貸してくれるとすれば、それは今生きているわたしたちではなく、次に出てくる「彼ら」になのだと思います。

そのとき、医療は変わるんでしょう。

今わたしたちにできることは、獲得や開拓や前進ではなく、比喩的な意味でも物理的な意味でも色々なものを捨て、縮小していくことであるような気がしています。

この記事を書いた人

ちひろ
ちひろ研究員(菌作家)
自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。
でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。
いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。