生きていることに集中すると、たぶん病気になりにくいと思う

ちゃお。(誰)
そういえば、学生時代の先輩に常にメールを「チャオ☆」で始める先輩がいてはったわ。
それとは全然関係ないんですが(なんで関係ない話をする)、電車の中ってみなさん何していらっしゃいますか?
通勤や通学でもいいし、ちょっと休日に友だちと会うのに乗ったり、出張とかで全国飛び回っておられる方もいらっしゃると思います。
わたしの場合、小学校の頃から電車には頻繁に乗っていました。
塾に行ってたので。
信じられへんぐらいの量の宿題を出してくるタイプの塾やったんで、行きの電車で答えを写すしかなかった。(ただの努力不足)
中高時代は友だちと喋ってるか、参考書見てるか、こそこそとお菓子を食べてるかやったな。
ほんで27歳になった今は、めりこみがちに小説を読んでるか、窓からぼんやりと外を眺めて黄昏れてる。(あんた地下鉄やから窓から眺めても自分が映ってるだけやけどな)
でね、こないだ朝の通勤時にふと本から顔を上げたんです。
その時はたまたま電車があんまり混んでなくて、本と顔の距離も適度に離せたし、なんとなく顔をあげたんですね。
そしたら、わたしの立ってる扉の一個隣の扉、めちゃくちゃ混んでたんです。
人、ぎゅうぎゅう。
わたしのいるとこ、けっこう空き空き。
こんなん、ちょっと見たらわかるんです。みんな、こっち来たらええじゃないですか。
でもね、誰一人気がついていないんです。
なんでかというと、みんなスマホしか見てないから。
生身の現実に集中していない生き方

これはほんの一例ですが、今の世の中ってこういうことわりとありません?
電車でもカフェでも路上でも、基本的にみんなスマホしてる。
家族と話しながらテレビ見てスマホもして、さらに晩ごはんを食べるという四重のマルチタスクこなす人もいる。
わたしは情報処理能力が低いんで、ご飯を食べてるときにはテレビの内容がまったく頭に入ってきません。
妹「今の、めっちゃすごくなかった?」
わたし「え、あ、ごめん、見てなかった」
妹「思いっきりテレビの画面見てて、私の話聞いてなかったくせに?笑」
ってなる。
わたしみたいなんは一番損してる気もするんですが、でもマルチタスクな人だって、それはそれでデメリットもあると思うんです。(負け惜しみ)
基本的にスマホしながら暮らしている方って、ものすごく効率いいみたいに思えるじゃないですか。
だって移動しながら何かしらの作業をしているわけやし。仕事でも、友だちとのLINEでも、何かのゲームでもなんでもいいんですけど。
カフェでぼんやり通行人の姿眺めてたり、隣のカップルの会話聞いてたりするより、有効に時間を使えている気がします。
でも、それって「半分しかここにいない」みたいな感じやと思いません?
肉体はたしかにここにあって、ここに存在してるんやけど、その人の半分(あるいはそれ以上)はどこか雲の上の遠いところにあるような。
それってある意味、もったいない気もするんです。
せっかくここにいるのに、この世界のこの瞬間を見れるのは今だけやのに、それを見逃している。
これって貧乏性なんかな?
でも、次から次に情報を処理していくのって、なんか世界の上澄みだけを部分的にすくい上げながら生きている気になってくるんです、わたしの場合は少なくとも。
こんなにいろいろな情報を身体に入れて、忙しくしてるのに、なにひとつわたし自身のものになってない、という気分。
そうすると、だんだん自分がただの容れ物にすぎないように思えて、不安になってくる。
そんなふうに、上澄みだけを次々に味見していくような毎日だと、人間ってアホになってくると思うんです。
いろいろなことをひとつひとつ集中してしっかり見つめて、自分の中にまるごと飲み込んで、因数分解して整理して、自分のものにする。
そういう時間がどんどんなくなっている気がします。
機械が賢くなって、「人間の仕事はクリエイティブなことだけになる」とか言われてるけど、今みたいに連続的な浅い情報の取り方ばっかりしてると、オリジナルのクリエイティブ性なんて絶対に生まれへんと思う。
それどころか、身分不相応な量の情報に飲まれて、病気なると思う。
心身ともに、相当なストレスやもん、絶対。
周りも見えなくなるくらい脳みそをだらだらと酷使して、身体に不調があらわれないほうが不思議なくらい。
こうやって、せっかく一生懸命進歩している医療の足を、自分たちで一生懸命引っ張っているような気がしてならない。
わたしたちはたぶん、もっとシンプルに、ひとつひとつのことに丁寧に向き合って毎日を積み重ねていくことでしか、前に進めないような気がするんです。
病気は、効率や生産性を飽くなく追い求めて、情報を食らって肥え太って、傲慢になってしまった人類に軌道修正をさせようと、神様が与えてくれているサインではないだろうかとも思うのです。
芯を見極めて、生きることに集中する

なんか真面目な感じになってしまいましたが、人間には欲があります。
これは人間が繁栄し、進化していくうえではとっても大切なことです。
ただ、自分にとって大切でも必要でもないものをどんどん溜め込んでしまうと、人生はそれに反比例してやせ細っていくのではないかというのがわたしの考え方です。
これはある程度、年齢の問題もあるでしょう。
自分にとって何が大切か、何が必要かを知るまでは、溜め込んでいく作業というのは必要悪(悪ですらないかも)とも言えると思います。
不安もあるし、あとから大切やったって気がついたときにはもう遅いこともあるし。
学校教育もその一つかもしれないです。
何がしたいかわからないから、とりあえずどんな道に進もうと思っても大丈夫なような勉強をしておく、とか。
でもそうやって成長していく中で、「自分の芯はどこにあるのだろう」と探し続ける努力はしていいと思うんです。
結果として、「浅くでもいいから幅広く情報を仕入れて、それをうまくつなぐのが自分のやりたい、あるいは得意なことかもしれない」ということになるかもしれない。
それはそれで、とっても素敵なことです。
「同時進行でいろんなことはできないけれど、一つに集中して全身全霊でやり遂げると気持ちがいいし幸福」というタイプだということに気づくかもしれない。
それもそれでいいですよね。
大切なのは、「自分にとって何が大事か」というのを自分で見つけるということではないかと。
そういうのは、常時あちこちに垂れ流されている情報に自分を漂わせているだけでは見えてこないんではないかと思ったりします。
スマホするなら、スマホに集中したほうが、たぶんスマホも喜ぶ。
わたしも電車の中で本読んでるし、そういう意味では集中してないですね。
目の前のことに集中し、たまには一歩引いて「自分の周りで、自分の中でいったい何が起こっているのか」に意識を向けること、
それからできたら感謝の気持ちを忘れなければ、神様は人から病気をなくしてくれるかもしれない。
腸内細菌のことを勉強しだしてから、「わたしって、わたしだけのものではないんや」ということを知りました。
たくさんの細菌やウィルスが身体の中にいることや、宇宙の生命を構成する元素たちは、はるか昔からの使い回しなんやということを知りました。
そうすると、ちょっと肉体や精神の使い方に謙虚になった気がします。
たくさんの腸内細菌や細胞のオーナーとしての自分。
彼らに愛想を尽かされてしまわないように、魅力的な生身の肉体と精神を保っていたいなと思う今日このごろです。
なんか、とりとめもないことをたくさん書いてしまいました。
こういう日もありますね。
この記事を書いた人

- 研究員・広報(菌作家)
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自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。
でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。
目に見えないものたちの力を感じる日々です。
いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。
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シンバイオシス研究所では、独自の移植菌液を開発し、移植の奏効率を高めることを目指しています。(特許出願中)