家族が病気になることと、共倒れにならないようにすること。

患者さまからのお問合せで、よく思うことがあります。
それは、「いいご家族やなあ」ということ。
患者さまご本人からのお問合せももちろん多くいただきますが、それと同じくらいかそれ以上に、ご家族からお問合せをいただくことが多いです。
娘のために、息子のために、妻のために、夫のために、両親のために。
大切な家族に少しでも楽になってもらいたい、という温かい愛情で、とても詳しくお調べになられて、熱心にご質問いただきます。
家族が病気になるということは、ある意味で自分が病気になる以上に心が痛むのかもしれません。
そういうご家族を見ていると、そしてその思いに応えようと一生懸命治ろうとする患者さまに接していただかせていると、ものすごく気が引き締まります。
できることは何でもさせていただきたい、という気持ちになります。
ありがたいことに、わたしは入院をした経験も看病が必要な病気になったこともありません。
たぶん、人生でもっとも重篤な病は高校生の時の「インフルエンザ」やったと思う。
あのときはちょうど期末テスト期間中で、風邪で休んだら中間テストの0.8倍の点数になってしまうっていう理由で一日目は38.8度出てたけど死ぬ気で行って、その日の夕方に体じゅう痛いし気持ち悪いし頭がんがんするしで病院行ったら40度超えてて、インフルエンザやった。
インフルエンザの場合は公欠扱いになって、中間テストの点数がそのまま採用されるんで、次の日からは休んだ。
なんかものすごく真面目な子みたいに聞こえますけど、わたしこのテストで「嵐のファンクラブ入れるかどうか」がかかってたんで。
クラスで10番以内に入れたらいいよって母親と約束してて、中間テストがまあまあ良くて、期末テストもこの調子やったら無事入会できる予定やったんで。
人間、目標って大切。
まあ、このように大変健康には恵まれてきた人生ですが、家族が入院したことは何度もあります。
そのときのことを思い出しながら、家族が病気になったら自分になにができるのかということを考えてみたいと思います。
目次
家族が病気になることによる生活の変化

たとえ自分がまったくの健康体であっても、家族の誰かが調子悪いというだけで、なんとなく家の空気がブルーになります。
もちろん誰のせいでもないんですが、仲がいい家族ほど、家全体の空気が変わってしまいますよね。
まして、誰かが入院なんてことになれば、生活パターンの変化は否めません。
入院した人が今まで家事を主に担当してくれてた人やったら、しばらくは残りのメンバーで分担しなあかん。
学校や会社帰りにお見舞いに行く機会も増えるやろうし、そのまま外食することも増えるかも。
その人がおしゃべりな人やったとしたら、家が急に「しーん」としてしまうかもしれんし、
何より心配で気持ちも晴れへん。
ビール飲みながら中川家の漫才見て、涙がこぼれてくるなんていうことにもなりかねない。
待っている側がどこまでできるのか
※画像は、うんちを逆さまにしたものではなく、葛藤をあらわしています
病気で一番しんどいのは本人だ、というのはもうほんとその通りだと思います。
ただ、大切な家族が苦しい思いをしているのをそばで見ている家族も、心身ともに少なからずダメージはあるはずです。
家族の場合は、病気である家族にそのしんどさを見せることもできないこともあるでしょう。
お見舞いや看病のために外食が続いたり、睡眠が不足してしまって体調を崩してしまうこともあるかもしれない。
気持ち的にしんどくなってしまうことも、もちろんあるでしょう。
小さい子どもがいて、妻が入院してしまう場合
【病室】
妻「ほら、たけしも明日学校でしょう。パパもお仕事あるんだから、もう帰って」
た「いやだよぉ、ママも帰ろうよう」
夫「たけしは任せて。理沙もこっちは心配せずに、自分の身体のことだけ考えろよ」
妻「ありがと、裕二」
【帰り道】
た「パパー、お腹すいた。マクドナルド食べたい」
夫「昨日も外食だったから、今日は家で食べような。よーし、今日はお父さんがオムライスを作ってやろう」
【自宅】
た「美味しくない。ママのがいい」
夫「そんなことを言ってはいけないよ。ママも頑張ってるんだから」
た「マクドナルド食べたい〜〜」
夫「パパも疲れてるのに、裕二の健康のために頑張ったんだぞ」
夫(もう勘弁してくれよ)
と、わりと高確率でこうなってしまいます。
他にも、「年頃の娘と母パターン」、「姑と嫁パターン」などいろいろありますが、長くなりそうなので割愛します。
わたしの場合も、そういうことがありました。
おばあちゃんが入院していて、けっこう悪かったんです。
でもちょうどその時、留学に行けるかどうかのテストの直前で、わたしは一分一秒でも多く勉強したかったんですね。
それで、家族でおばあちゃんのお見舞いに行って2時間くらい経ったときに、唐突に「今すぐ帰りたい」と思ったんです。
寝たきりで苦しそうなおばあちゃんをベッドの側で見つめながら。
「どうせわたしがいてもいなくてもおばあちゃんは寝たきりなんやし、それならわたしは帰って勉強したい」と。
その瞬間、猛烈な罪悪感に襲われました。
「おばあちゃんは今までわたしにあんなに優しくしてくれてたのに、わたしはたった2時間、おばあちゃんのお見舞いに来ているだけで帰りたいって思っているなんて、わたしって悪魔のような孫やわ」ってなった。
そして駐車場でおいおい泣いた。(19歳のとき)
家族としてできること

そのとき、おばあちゃんには涙を見せなくて済んだけど、たぶんこういうのって病気の本人からしたら一番きついですよね。
自分を見舞ってくれてる人が、直接的にせよ間接的にせよ自分が原因で心身にダメージを受けている。
ただでさえ病気でしんどいのに、そういう余計なしんどさまで加わる。
これはかなり確信のある予想ですけど、それで病気の治りが遅くなることって、あると思う。
こういうのって、まさに「誰も得しない」状況です。
病気の本人が一刻も早く元気になれるようにできることっていろいろあると思うんですが、その重要な要素のひとつに「家族が無理をしすぎない」ということが挙げられると思うんですよね。
肉体的にも、精神的にも。
「そんなこと言っても、私が無理せな誰がこの用事するねん」っておっしゃるのもよくわかるし、
「それでも家族のために、できることは全部してやりたい」っていう気持ちもわかる。
わかったうえで、失礼を承知で、
「自己満足になっていませんか? それであなたまで体調壊したら、もっと悪いことになるんですよ」
と言わせてください。
やらなければという気持ち、してやりたいという気持ちを、しんどくなる2歩手前くらいで止めてください。
それがきっと、病気のご本人にとっても、そのご家族にとってもいちばん大事やとわたしは思うんです。
言い訳なんかじゃないです、それは。
共倒れになってはいけません。
家族が病気になることで、他の家族のつらさが倍になってはいけないんです。
喜びは倍に、悲しみは半分に、とはよく言ったものです。
わたしは、喜びは二乗に、悲しみは平方根に、やと思ってます。
平方根って√(ルート)のやつやんな?
25の悲しみは5になるやつやんな?
世界から争いが消えないのと同じように、世界から病気もなくならないのかもしれないけれど、
世界平和を叫び続ける人がいるように、わたしたちも世界の健康のために力を尽くしていきたいと思います。
いい感じで締めくくれたので、もう今日はこのへんにしておきますね。
この記事を書いた人

- 研究員・広報(菌作家)
-
自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。
でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。
目に見えないものたちの力を感じる日々です。
いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。
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