1982年から続けてきた微生物の基礎研究や医療機関における臨床を経て、独自の腸内フローラ移植(便移植)方法を開発しました。微生物たちとの共存共栄には、無限の可能性があると信じています。
シンバイオシス研究所 -微生物との共存共栄-
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その他もろもろに入れられてしまう病気と、悪を抱えて生きること

診断

自分の不調に病名がつくと、ちょっとホッとすることってありませんか?
「治ったわけではないけど、とりあえずこれで、この不調が何なのかがちょっとわかったわけや」みたいな。

ちょっと古いデータなんですけど、電子カルテに収載されている標準的な病名の数は、2014年10月の改定時点で24,529あるそうです。
この数を知って、「地域のかかりつけ医って、めっちゃ大変やん」って思った。

「すいませ〜ん、ちょっと具合悪いんです」って来院した患者さんに、24,529の可能性を考慮しなあかんってことやろ?
しかもそれが、病気じゃない可能性もあるわけやん。

その膨大な病名数に、「病気じゃない」という選択肢を加えると、24,530の可能性になるわけやん。(微増やな)

ところで日本には、国民皆保険制度という、素晴らしい仕組みがあります。

そのおかげでみんながお気軽に病院や診療所に行ってしまって、医療費であっぷあっぷしているという事実は横に置いておくとして、この「なんかあったら3割負担で医療が受けられる」という安心感は、日常生活を送る上でお守りのように機能してくれているはずです。

当研究所の「腸内フローラ移植」は、残念ながらまだ臨床研究の域を出ない保険適用外の項目ですが、日頃の治療が保険で受けられるからこそ、いざという時に保険外診療を受ける経済的余裕も持てるのかもしれません。

アメリカとかに生まれてたら、
「病気は病院にさえ行かなければ、病気にはならないのだ」とかいう哲学的な考え方になってたかもしれんし、
「明日には風邪で死んでるかもしれんから、今日という日を楽しもうよ。ほら、フライドポテトだよ」っていうデブになってたかもしれん。

わたし、アメリカに対してなにか大きな誤解をしている?(人生は誤解に満ちていますよね)

逆に日本の保険制度のおかげで、今を楽しむことよりも、将来の安定的な暮らしを望む国民性になったりしてるんやろうか。
病院に行って病気を認識して、治療を医師に頼ることで、自己治癒力が落ちてるとか。

ねえ、ちょっと聞きたいんだけれど、わたし、また話逸れてる?(よかった、今回は自分で気づいてくれて)

その他もろもろに入れられてしまう病気

カテゴライズ

上で言ったように、日本はありがたいことに比較的簡単に医療機関にかかることができます。
生活保護や、その他一定の環境で医療費の負担はさらに少なくなります。

でも、なんぼいろんな医療機関に行っても、ちゃんとした診断名がもらえないことってありませんか?
検査だけさんざんされて、「不定愁訴」とか言われた日には、社会からさじを投げられたみたいな気分になったりする。

一方で、かかる医療機関によって診断名が違うこともあります。
特に、精神疾患のように外からぱっと見てわかりにくい場合は、医師によってどの診断名を下すかが違ってくるのは、当たり前かもしれません。

なんてったって、24,529やもん。
24,529ピースのジグソーパズルがあったら、わたし一ヶ月くらい家から出られへんわ。(はじめたら終わるまでやめられへんタイプ)

そういうのを、保険医療機関は一人あたり10分とかでやらなあかんわけで、そりゃもう無理がありますわな。

診断名をつけようとして、消去法的に付けられる、いわば「その他もろもろ」のカテゴリーに入る病気もあります。
どの病気がそれにあたるかは個人の意見が分かれるところではありますが、
「自律神経失調症」
「うつ病」
「過敏性腸症候群」
あたりは、他に適切な病名が見当たらないから、とりあえず付けられた診断名である可能性もあると思います。

これらの診断名を持つ人たちの症状が、あまりにも十人十色なところからも、そう言えると思う。

そもそも病気は何かしら「悪」なるものから来る

悪なるもの

今の時点では「その他もろもろ」に入れられている病気も、もっと医学が発展するにつれて、ちゃんとした名前がついていくのかもしれん。
人類の医療は、病名数と比例するように発展してきたという見方もできるかもしれません。

エラい人の言葉でありそうじゃない?
「我々の医療とは、病名の発見の連続であった」

病名の発見は、すなわちその病気のメカニズムの、少なくとも一端を発見することでもあり、それに救われてきた人も多くいるでしょう。

でもそれは、本当に発展なんでしょうか?
病名を細かくカテゴライズすることで、それらにわかりやすい名前をつけることで、わたしたちは「その奥にある悪なるもの」から目を逸らしては来なかったでしょうか?

悪を自分の中に抱えて生きるということ

悪を抱えて生きる

ちょっと今から一見して話が逸れているように感じられるかもしれませんが、よかったらちょっとだけ我慢して読んでください。(ブログ読むのに我慢を求められるなんて)
今の時点でわたしが感じている、「病の本質」のようなものを、なんとか言葉にして伝えてみようと思います。

わたしにはありがたいことに、敬愛してやまない方が3人がいます。
ひとりは小説家の村上春樹さんで、もうひとりは臨床心理学者の故・河合隼雄さんです。

ちなみにもうひとりは宮崎駿さんですが、うちの職人の清水がすねそうなので、3人めの席はいちおう空けておきましょう。(魔女の宅急便が心底好き)

そして、村上春樹さんと河合隼雄さんの対談がいくつかあるんですが、その中でもわたしが一番好きなものに、『「悪」を抱えて生きる』という文章があります。

これは村上春樹さんがオウム真理教による地下鉄サリン事件のあとに、オウムの信者にインタビューをした『約束された場所で』という本のP293から30ページ足らずの短いものなんですが、この文章はことあるごとに読み返します。

そこで、村上春樹さんはこのように発言されています。

良くも悪くも社会システムの中ではやっていけないという人たちが存在していることは確かだと思うんです。そういう人たちを引き受ける受け皿みたいなものがあってもいいんじゃないかと僕は思いますが。(P300)オウム真理教はそういう人たちの良き受け皿になったんじゃないかという意見もあります。(P307)

それに対して、河合さん。

あれだけ純粋なものが内側にしっかり集まっていると、外側に殺してもいいようなものすごい悪い奴がいないと、うまくバランスが取れません。そうなると、外にうって出ないことには、中でものすごい喧嘩が起こって、内側から組織が崩壊するかもしれない(P307)

続いて、悪に対する村上さんの発言。

悪というのは人間というシステムの切り離せない一部として存在するものだろうという印象を僕は持っているんです。それは独立したものでもないし、交換したり、それだけつぶしたりできるものでもない。というかそれは、場合によっては悪になったり善になったりするものではないかという気さえするんです。<略>
ところがそれだけでは説明のつかないものもたしかにあるんです。たとえば麻原彰晃を見ていても、少年Aを見ていても、純粋な悪というか、悪の腫瘍みたいなものがわっと結集して出てくる場合があるような気がします。(P311)

それに対して、河合さん。

それはやはり、我々の社会がそういうものを見ないように見ないように、見ないですますようにしすぎるからだと僕は思います。そうなるとどうしても、固まったものがばんっと出てきます。(P312)約束された場所で

つぎはぎの引用でニュアンスが十全には伝わらないのが悔しいですが、なんとなくニュアンスはわかっていただけましたでしょうか?
よろしければ、『約束された場所で』を読んでみてください。

受け皿がないことが、病気の原因ではないか

受け皿

お二人の対談は、人間社会で起きた事件を例にとってお話が進められていますが、わたしはこれ、ひとりの人間の身体でも同じことが言えると思っています。

個性強めな子たちが、社会の型にうまくはまれないと、社会というシステムからはどうしても阻害されてしまう。

腸内細菌の話で言うと、臭いガスを出したり下痢になったりさせる腸内細菌がこれにあたるかもしれません。
でも、この子たちがいないと、便秘になったり免疫力が落ちてしまったりします。
ヘルシー過ぎる食事をしている方に、こういう傾向があります。腸内細菌平和ボケ状態です。

逆に、抑圧された子たちがボン!っと一気に増えて、自分の身体を攻撃しまくることもあります。
いわゆる免疫過剰状態。
「抑圧してくんな! お前も、お前も、お前も、みんな敵や!」となる。

遺伝子の話で言うと、塩基配列のエラー(細胞のがん化)。
日常レベルで起こるエラーは、笑ったり眠ったりすることで自然と修復されていきます。
いたずらっ子が壁に落書きしたとしても、先生が叱って、放課後一緒に消してくれたりするのと同じです。

でも、子どもがいたずらなんてしないように壁を全部なくしてしまったり、モンスターペアレントを恐れて先生が何も言わずに消してしまったり、「問題児」のレッテルを貼って避けるようにしていると、子どもの「いたずら心」は欲求不満になっていきます。

誰にでもあるはずのかわいらしい「いたずら心」は殻に閉じこめられ、一見して外からは何の問題もないように思えるかもしれない。
でもそれは、ある日突然「殺人」という形で明るみに出るかもしれません。

これ、がん細胞の免疫チェックポイントとめちゃくちゃ似てませんか?
がん細胞は、白血球が自分を攻撃してこないように、自分をがん細胞だと認識させないことができるんです。
そして、身体という社会システムが気づいたときには、手遅れなくらい大きくなって、身体(社会)そのものを破壊してしまう。

あらゆる病気は、この「小さな悪」に蓋をして、見ないふりをしてきたことによるものな気がしています。
人間がヘルシーに生きていくために、ある程度の悪を自分の中に抱えていくことは必要なのではないかと。

それを、やれ殺菌だの、やれ薬だの、検査だの、そういうピンポイント攻撃のようなことをしすぎているから、ちょっとの悪が見つかっただけで過剰に反応してしまう。自分を傷つけるほどに。

そんな過剰免疫をかいくぐって、「いたずらっ子」はへそを曲げて、悪性腫瘍になる。

わたしたちに必要なのは、病名やその原因の細かいカテゴライズなんかではなく、その根本原因となる「悪なるもの」のバランスを、自分という社会システムの中でいかにバランスよく抱えていくかということなのではないか、という風に思います。

なんか、書き始めと書き終わりのテンションの落差がものすごいですが、最後までお読みくださった方がいらっしゃるとすれば、ありがたいんで年賀状送らせてください。わたしの住所は、「地球の日本の大阪府の」(郵便制度が宇宙にまで広がったら、こんな感じになるんかな)

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自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。 でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。 いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。 ご挨拶と自己紹介も併せてご覧ください。
腸内フローラ移植(便微生物移植)を知っていますか?
わたしたちの腸に暮らす腸内細菌たちと健康との関連が、世界中で次々に明らかになってきています。 「すべての病気は腸から始まる」と言われるように、腸内環境が崩れると病気を引き起こすことが知られています。
健康な人の腸内フローラを移植することで、ふたたび健康を取り戻そうという治療法に期待が高まっています。
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