「死にたい」を因数分解してみよう

ちひろです。
人生の中で、一回も「死にたい」って思わない人ってどれくらいいるんでしょうね。
あるいは、人生の中で一回も「生きたい」って思わない人ってどれくらいいるんだろう。

一秒の間断もなく「死にたい」って思い続けることも
一秒の間断もなく「生きたい」って思い続けることも無理ですが、それぞれ一回くらいなら多くの人が思ったことがあるんじゃないでしょうか。

かく言うわたしも、20代の頃はわりと何年も死にたいって思ってました。

自分がそう思ってるときって、どんな情報も心に入ってこないんですよね。
ストレス解消法も、それらしい言葉も、希望らしく見えるものも、全部目をそらしてしまう。

それはそれでいいし、残念ながら本当に自殺しちゃったとしても、まあそれもそれでしゃあないと思う、正直。
本人の生き死にを誰が強制できるわけでもないし。
社会的にかかるコストを勘案して「自殺税」とかは可能性としてあるかもしれんけど(どうやって徴収するん)、
そんなん言ったら、生き続けるほうがコストやしな。

今日は、死にたい人を救いたいというような高度なことは目指さず、
「死にたい死にたい死にたい」という思いに固執していたあの頃の自分を思い出しながら、その思考の一方通行には何が潜んでいるんだろうということを、因数分解してみたいと思います。

今この場所以外のどこかへ行きたい

死にたいと感じている人の一番多くがこのパターンであり、
さらに実際に死んでしまう人が多いのもこのパターンではないかと個人的には思っています。

仕事がハードすぎる、
職場の人間関係、
家族関係、
失恋、
借金。

死にたい理由がはっきりしている分、死ぬ以外の解決策がまったく目に入らなくなります。

とにかく今置かれている状況があまりにもつらくて、死なずしてここから抜け出すなんて不可能と思い込んでいるか、もし抜け出せたとしてもつらさに変わりはないと思えてしまいます。

「逃げる」という選択肢を取ることのできない真面目すぎる人が、どうにもこのループから抜け出せなくなるのかもしれません。

治る見込みがない、そう感じられる病気なんかの場合、逃げることすらできません。
楽になるために死にたい。

そんなふうに感じる人を、誰が責められるでしょうか。

生き続ける理由がない

死ぬのもエネルギーを使いますが、生き続けるにはもっとエネルギーが必要です。

我々は欲張りな生き物で、常に満たされ満足しているということはなかなかできません。
それは様々な「欲求」という形でわずかな不満足を生み出し、わたしたちはそれを満たそうと行動します。

それこそが生きるエネルギーになるんです。

生活に困っているわけでもなく、嫌なことがあるわけでもない場合に「死にたい」がやってくることもあります。
贅沢に聞こえるかもしれません。

お金があって、ストレスもないなら、自分の好きなこと・楽しいことをすればいいじゃないと思うかもしれません。

でも、「楽しいことをすればいい」は困ることもあるんです。
楽しいときは何やっても楽しいし、楽しくないときは、何をやっても楽しくないんです。

「死にたい」以外の欲求が特にない状態。
仏教の高僧ですら、自殺しますからね。

正確には即身仏と言って、現代人の想像するような自殺とはちょいと違いますが、自ら死に至る行為に及んでいるという点では共通しています。[1]あなたは即身仏を知っていますか?究極の苦行で時を超えた偉人を訪ねて | 未知の細道 | ドラぷら

これがもうちょいレベルアップして完全なる満足に行き着くと、めっちゃ穏やかな老人になって天寿を迎えられるんやろうか。

もっと高尚な理由

仏になる、という仏教の師匠レベルよりも高尚な自殺理由があるとすれば、それは全人類・全世界のために死ぬという理由になってくるのかもしれません。

医療の発達や科学技術によって、地球上の人口はいまだかつてないほどに増えています。
その結果、環境問題をはじめとして様々な社会問題が発生していることは皆さんご存知のとおり。

これだけたくさんの非営利団体やソーシャルビジネスが頑張っても、まだまだ課題は解決されず、どんどん新しい問題が発生してきます。

冒頭で「生き続けるコスト」と書きましたが、この惑星にとって、人間が一人増えることは望ましくない事態なのかもしれません。

それが真実かどうかはともかく、自分がいないほうが他の人類や地球のためになると信じて自殺する人もいるのかもしれない。

CO2排出を減らすために、子どもを持たない選択をする人も増えているらしいし[2]彼らがあえて子供を産まないのは「CO2排出量を年間58.6トン減らす」ため | これが私たちにできる最大の貢献 | クーリエ・ジャポン、あながち見当外れではないのかもしれません。

わたし自身、子どもを持ちたいかどうかを決めるとき、実際にこの点については随分考えたものです。

死を意識しだすとめっちゃポジティブになる説

ちょっと話が変わりますが、「死にたい死にたい死にたい、でも〜〜」と、死にたいのに死ねないときってめっちゃ苦しくないですか?

親が悲しむとか、
まだ希望を完全には捨てきれないとか、
自分が生きていてもしょうがない存在であることを受け入れられないとか。

逆に、死ぬことを完全に決定してその時期と方法も決めてしまうと、めっちゃポジティブになるという説があります。
これ、わたし自身も感じたことないし、「あーわかる!」ってなる人も少ないと思うねんけど、あると思う。

死にたいっていうのは、過去に引きずられていたり、それによって将来の不安が増したりすることで起こる感情な気がしています。
つまり、比較的長い時間軸で自分の人生を眺めたときに、そこに希望がなく不安があるから、死にたくなる。

近い将来に死ぬことが決定しているなら、もう悩む必要はなくなります。
楽しいことを思い付けそうならすればいいし、別に楽しいことがなくても、もうすぐ死ぬんやから適当に暇つぶししときゃいいじゃないですか。

余命宣告をされた人がかえって生き生きするような場合も、これと似た感じなのかもしれないと思う。

「死にたい」という膨大なエネルギーの行方

死ぬにはエネルギーがいると書きましたが、死にたいと思い続けることもまた膨大なエネルギーを要します。
日々なんとなく生きていて、日常生活だけで疲れている人は、「死にたい」と思うエネルギーが残っていないような場合も多いんです。

思い返せば、わたしがもっとも強烈に「死にたい」と感じていたとき、日常生活では大した活動をしていなかったように思います。
日常生活も送れないほど弱っているんかと思ってましたが、実際は日常生活でほとんどエネルギーを消費できていなかったから、余ったエネルギーで「死にたい」って思ってたのかもしれません。

今死にたい人がいて、できればその状況を脱したいと思っている人がいたら、僭越ながらわたしの知っている方法をお伝えします。

レジリエンスを磨く

レジリエンスという言葉を知っていますか?
ストレスフルな状況から自分を立て直す力、とでも定義すればよいでしょうか。

心理学の言葉ですので、気になる方はググってみてください。

この言葉、古代中国の『三略』という兵法書に書かれている「柔よく剛を制す」に通ずるところがあるんではないかと個人的には思います。

どんなムキムキの鉄人でも、象に踏まれたらかなりの重傷を追うでしょう。
でもゴムゴムの実を食べたルフィなら、無傷でいられます。

真正面から懸命に向き合うだけではなく、ふにゃふにゃするのも大事ってことなんかもしれないですね。

利き手と逆の手を使う

何を言っているんだと思われるかもしれません。
でも、「死にたい」モードになってる時って、思考パターンが一緒じゃないですか?

考え尽くして、もう新しい思考パターンが思い浮かばず、
A

B

C

「あー、やっぱ死にたいわ」
ってなってませんか?

これは、一人の人間が考えていることなんで、ある程度しゃあないんです。
認知行動療法とかで他人に別の考え方を吹き込んでもらう方法もありますが、ここで紹介するのはもっと単純な方法です。

いつも無意識に右手で行っていること。
例えば食事、メモ書き、歯磨き、スマホの操作なんかを左手でしてみてください。

めっちゃやりにくいし、しっかり意識しないとできなくないですか?

これによって、頭を流れる電気信号の回路が切り替わるイメージをします。
馴れた思考回路に引きずられがちだった思考の電流が、左手で何かを行うことで強制的に一時停止させられます。

歳を取る

完全に個人的な体験で申し訳ないんですが、わたしは歳を取ることで「死にたい」が薄らいで行きました。
特に30歳の誕生日を迎えた当日は、自分でもわかるくらいすっと肩の荷が下りたのを感じました。

自分の場合は、21歳のときの留学経験でつらい体験をしたことをきっかけに、自分の人生を失敗作としてしか見なせなくなっていました。
同級生は皆揃って一流企業に入って、特に休職したりすることもなく順調に出世していたり、自分の好きなことを仕事にしてばりばり活躍していたりしているんだと思いこんでました。

SNSにはそんなのしか出てこないのはわかっていたけれど、自分だけが社会のレールから外れて、取り返しのつかない落ち武者状態に陥って、この先の人生も知れているんじゃないか。

でもまだ、20代なら取り戻せるかもしれない。
キャリアウーマンとしての立ち位置や、一発逆転のチャンスがあるかもしれない。

自分はどうしたいのか、そんな生き方が本当に自分に向いているのか、そういった違和感や自分の素直な気持ちを大切にできませんでした。

それが30代に入り、ある意味あきらめがついたというか、自分の選択を肯定できるようになりました。
同時に「死にたい」はどこかへ消えました。
わたしの「死にたい」は、因数分解するとそういうことだったみたいです。

今の幸せは、基本的には夫のおかげだと思っています。
運良く夫に出会えたから、わたしは死にたくなくなり、幸せになったのかもしれません。

でもたぶん、わたしが先に変わっていたから、夫に出会え、それを受け入れられたんだと今では思います。
どうあがいてもダメなことを、時間が解決してくれることは間違いなくあるはず。

今しんどい思いをしている人たちに「歳を取れば楽になるから」と安易に言葉をかけることは無責任なのかもしれん。
でもできれば、何を試しても状況が改善しないなら、思考回路を一旦ストップして時が過ぎ去るのを待ってみるというのも手かもしれません。

うつ病を患っている場合は、気の持ちようでなんとかなる問題ではないので、お医者さんに頼ってください、まじで。

そんな、とりとめもない話でした。

この記事を書いた人

ちひろ
ちひろ研究員・広報(菌作家)
自分の目で見えて、自分の手で触れられるものしか信じてきませんでした。
でも、目には見えないほど小さな微生物たちがこの世界には存在していて、彼らがわたしたちの毎日を守ってくれているのだと知りました。
目に見えないものたちの力を感じる日々です。
いくつになっても世界は謎で満ちていて、ふたを開けると次は何が出てくるんだろう、とわくわくしながら暮らしています。
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